植田治作とは? わかりやすく解説

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植田治作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/29 05:43 UTC 版)

植田治作
うえだ じさく
生年月日 1853年
出生地 日本 長門国彦島西山
(現・山口県下関市
没年月日 1925年
前職 農業

豊浦郡会議員

彦島村議会議員
在任期間 1889年 - ?
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植田 治作(うえだ じさく、1853年嘉永6年) - 1925年大正14年)[1])は、日本篤農家[2]政治家(山口県豊浦郡会議員[3]、同郡彦島村会議員[4])、実業家

人物

長門国彦島西山(現・山口県下関市)出身。植田甚之丞の嫡子[1]1889年町村制が実施されると推されて村会議員となり30余年間その公職にあって村政に参与し、その間には郡会議員となり信用組合・漁業組合の理事及び各種の名誉職に挙げられた[1][4]

1915年11月、彦島村長より、1919年10月、山口県知事より村治功労者として同年10月には彦島町長より1922年4月、豊浦郡長より自治功労者として表彰され、里人の手によって頌徳碑が建設された[1]

貧困な家を復興すると同時に全身熱血を注いで部落の青年を薫陶し、常に誠意をもって不言実行した[4]。老境に入るに及んで進んで勇退し、一切を嗣子竹松に委ねた[4]。その声望は彦島に留まらず県下に知られていた[4]

脚注

  1. ^ a b c d 『栄える彦島 郷土読本』110 - 112頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月13日閲覧。
  2. ^ 『大日本篤農家名鑑』164頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月13日閲覧。
  3. ^ 『大日本紳士名鑑』山口県41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年1月16日閲覧。
  4. ^ a b c d e 『彦島大観』164 - 165頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月13日閲覧。

参考文献

  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 竹内伊四郎編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。
  • 加瀬谷弥一『彦島大観』関門報知新聞社、1926年。
  • 彦島町教育会編『栄える彦島 郷土読本』山口県彦島町教育会、1933年。



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