森犀助とは? わかりやすく解説

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森犀助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/03 08:35 UTC 版)

犀助(もり さいすけ、1846年8月7日弘化3年6月16日)- 1908年明治41年)12月31日)は、日本政治家。元山形県南村山郡東村長。元山形県議会議員[1]

来歴

現在の上山市菖蒲出身。森作右衛門の長男として出生。1891年(明治24年)5月28日に南村山郡会議員選挙に当選。1893年(明治26年)8月10日再選。1896年(明治30年)も再選した[2]

1899年(明治32年)より東村村長(当時は県会議員との兼業可)。同年9月25日に山形県会議員総選挙に当選。1903年(明治36年)に山形県会議員に再選。1906年(明治40年)に山形県会議員に再選。1908年(明治41年)12月31日、上山町の長谷屋旅館にて急死。菩提所は上山市小穴の蓬莱院。

功績として、矢来と萱野間の道路新設や、山林の官民境界を明確にし、菖蒲地区共有林800町歩を設定。また、宮城県境から横川堰の水利権確保に努力し、上山東南部水田開発に寄与した。菖蒲学校を設立、楢下や宮脇学校を統廃合し、東高等尋常小学校(後の上山市立東小学校)を設立した。

脚注

  1. ^ 『山形県議会歴代議員名鑑』山形印刷㈱、1973年3月24日、54頁。 
  2. ^ 『東郷土史』㈱小玉印刷所、1994年3月20日、486頁。 



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