森犀助
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森 犀助(もり さいすけ、弘化3年(1846年)6月16日 - 明治41年(1908年)12月31日)は、日本の政治家。元山形県南村山郡東村長。元山形県議会議員。[1]
来歴
現在の上山市菖蒲出身。森作右衛門の長男として出生。
明治24年5月28日に南村山郡会議員選挙に当選。明治26年8月10日再選。明治30年も再選。[2]
明治32年より東村村長。(当時は県会議員との兼業可)
明治32年9月25日に山形県会議員総選挙に当選。
明治36年に山形県会議員に再選。
明治40年に山形県会議員に再選。
明治41年12月31日、上山町の長谷屋旅館にて急死。菩提所は上山市小穴の蓬莱院。
その他
功績として、矢来と萱野間の道路新設や、山林の官民境界を明確にし、菖蒲地区共有林800町歩を設定。また、宮城県境から横川堰の水利権確保に努力し、上山東南部水田開発に寄与。
菖蒲学校を設立、楢下や宮脇学校を統廃合し、東高等尋常小学校を設立した。
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