森戸果香
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 14:19 UTC 版)
森戸 果香(もりと かこう、1898年(明治31年) - 1992年(平成4年))は、20世紀に活躍した日本画家。歴史人物画を得意とした。本名は森戸 鐶次郎(もりと かんじろう)[1]。
経歴
広島県福山市出身。1918年に上京しようと川端龍子に手紙を書いたが、父親が「絵をやるなら土佐絵が良い」と考えて東京の友人に依頼を行い、その紹介で小堀鞆音に師事する。
1924年に地元に帰郷して写真屋を開業したが、画家として専念するため、1929年に写真屋を廃業し再び上京。
第10回帝展に「天草四郎時貞」が初入選、以降も帝展、新文展、日展、官展を中心に活躍し、特選を含めて13回の入選を果たした。
自身が藤原秀郷の末裔にあたることから「藤原秀郷流末孫武将画像」124点を描いた後に、すべて栃木県立博物館に寄贈[2]。1992年には小山市立博物館で企画展「秀郷流藤原氏の系譜:森戸果香の絵画から」が開催された[3]。
代表作
作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 出品展覧会 | 落款 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
福山城下絵 | 紙、鉛筆、墨 | 1幅 | 75.0x362.0 | ふくやま美術館 | 1920-1945年 | 20歳代から40歳代後半にかけて描いていたが、未完[3]。 | ||
訪れ | 紙本著色 | 1幅 | 187.5x145.0 | ふくやま美術館 | 1950年 | 第6回日展 | 「果香」朱文方印 | 『平家物語』に着想を得て、平忠度と藤原俊成の別れの場面が描かれている[3]。 |
藤原秀郷流末孫武将画像 | 絹本著書 | 一括・124点 | 50.0x55.0 | 栃木県立博物館 | 昭和時代 | 「果香」朱文方印 | 自身が藤原秀郷の末裔にあたることから描いた人物画124点[2]。 |
脚注
- ^ 茨城県近代美術館 2025, 森戸果香.
- ^ a b SHUGYOKU 2025, 藤原秀郷像.
- ^ a b c ふくやま美術館 2013, 福田恵一と森戸果香.
参考文献
- ふくやま美術館 (2013年10月2日). “福田恵一と森戸果香”. 福山市ホームページ. 福山市. 2025年4月27日閲覧。
- 栃木県立博物館. “藤原秀郷像 森戸果香筆”. とちぎデジタルミュージアム"SHUGYOKU"(珠玉). 栃木県. 2025年4月27日閲覧。
- 茨城県近代美術館. “森戸 果香:作者名データ&作品一覧 茨城県近代美術館”. MAPPS Gateway. 茨城県近代美術館. 2025年4月27日閲覧。
外部リンク
- 森戸果香のページへのリンク