森川金寿とは? わかりやすく解説

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森川金寿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 05:19 UTC 版)

森川 金寿(森川 金壽、もりかわ きんじゅ、1913年4月19日 - 2006年10月16日)は、日本弁護士

略歴

高知県出身。東京帝国大学法学部卒。1936年弁護士開業。海野普吉を助け、1947年自由人権協会の事務局長となり、のち代表理事。1967年ベトナムにおけるアメリカの戦争犯罪を裁く国際法廷(ラッセル法廷)の構成員となる。 1972年7月8日には、福島要一(日本学術会議会員)、平野義太郎(日本平和委員会会長)らとともに「インドシナにおけるニクソンの戦争犯罪、日本政府・財界の共犯を告発する東京集会」を神田の学士会館で開催。当時、強化されつつあったベトナム北爆に抗議した[1]

家永教科書裁判横田基地騒音訴訟、横浜事件再審訴訟の弁護団長を務めた[2]

著書

共編著

  • 『人権の法律相談』海野普吉共著 日本評論新社 1953
  • 『都留文科大学事件の記録』遠山茂樹共編 盛田書店 1969
  • 細川嘉六獄中調書 横浜事件の証言』編著 不二出版 1989

脚注

  1. ^ 「北爆強化に抗議 学者知識人ら」『朝日新聞』昭和47年(1972年)7月9日朝刊、13版、22面
  2. ^ 日本人名大辞典



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