柴田つる子とは? わかりやすく解説

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柴田つる子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/29 07:50 UTC 版)

柴田つる子(しばた つるこ、1921年7月27日 - 1997年11月28日)は、日本歌手北海道函館市出身。本名、西谷ツル子

経歴

函館実習高等女学校を卒業後、歌手の小林千代子に師事。その後、ムーランルージュ新宿座日劇ダンシングチームで歌っていた。戦時中になると、活躍の場を奪われ退団。 1946年(昭和21年)、戦後初めて行われた「コロムビア新人歌手募集」に合格。同期での合格者に岡本敦郎津村謙がいた。同年5月、「港に灯りのともる頃」(藤浦洸作詞、平川英夫作曲)でデビュー、ヒットする。同時期に活躍していた、奈良光枝池真理子と共に、コロムビア新人歌手の三羽烏と評された。

1954年(昭和29年)、結婚し引退。

1981年(昭和56年)、二葉あき子並木路子池真理子安藤まり子とコロムビア5人会を結成し、歌手活動を再開した。

1997年(平成9年)11月28日、腎臓ガンのため死去。享年76。

代表曲

  • 港にあかりの灯る頃 - (昭和21年5月)
  • 銀座歩けば - (昭和21年5月)共唱:津村謙、宇都美清
  • 笛を吹きましょう月の夜は - (昭和21年7月)
  • 湖畔の一夜 - (昭和21年10月)共唱:宇都美清、菊池章子
  • 鈴蘭ブルース - (昭和23年5月25日)
  • ああ白蘭花 - (昭和25年3月)
  • 港の薔薇 - (昭和26年9月5日)
当時の宣伝文は「せつなく燃える恋心を、夜霧に浮かぶ薔薇にたとえてお贈りする、スウィートで品のよい、万人向の流行歌」
  • 懐かしの港の灯り - (昭和27年4月)
  • 花のパレルモ - (昭和28年4月15日)共唱:若山彰
この曲は1937年(昭和12年)、藤山一郎が歌った「青い背広で」をタンゴ調にアレンジしたものである。




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