柳家枝太郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 芸能人 > 芸人 > 落語家 > 柳家枝太郎の意味・解説 

柳家枝太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 04:27 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

柳家 枝太郎(やなぎや えだたろう)は落語家名跡。元々は上方落語の名跡であった桂枝太郎と混合されやすいが別の名跡。現在は空位。


四代目 柳家 やなぎや 枝太郎 えだたろう
本名 嶋田 信吉
別名 島田 信吉
生年月日 1876年10月3日
没年月日 (1945-05-26) 1945年5月26日(68歳没)
出身地 日本
師匠 初代三遊亭圓右
四代目柳亭左楽
名跡 1. 三遊亭右左喜
(1900年 - ?)
2. 柳亭茶楽
(? - 1907年)
3. 四代目柳家枝太郎
(1907年 - 1945年)
活動期間 1900年 - 1945年
活動内容 音曲
家族 八代目春風亭柳枝(息子)
所属 睦会

四代目 柳家 枝太郎(やなぎや えだたろう、1876年10月3日 - 1945年5月26日)は、音曲師。息子は八代目春風亭柳枝

経歴

  • 最初は1900年8月に初代三遊亭圓右の門で右左喜を名乗り、同年に初高座。
  • その後4代目柳亭左楽の門で茶楽となる。
  • 1907年ころに4代目枝太郎を襲名する。
  • 大正時代に入り、睦会に所属し活躍したが55歳の時に脳溢血でそのまま高座を退いた。左楽の襲名を期待されたが音曲師だったために継ぐことはなかった。
  • 1945年4月12日に空襲で神明町の家が焼け、一時知人の代々木幡ヶ谷に越して来たが5月25日の最後の東京大空襲の夜に米軍の焼夷弾が息子(8代目柳枝)の留守を守る枝太郎一家を直撃し戦災死した。

墓が文京区常徳寺にある。戒名は天楽院応誉即信居士。

人物

十八番は「両国の大津絵」。客から「両国!」「両国やれ!」と声が掛かり、他にネタをやらせてもらえなかったほどであった。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

出典

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「柳家枝太郎」の関連用語

柳家枝太郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



柳家枝太郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの柳家枝太郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS