柏木ベンとは? わかりやすく解説

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柏木ベン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/13 00:12 UTC 版)

かしわぎ べん

柏木 ベン
生誕 Hatankoyma
(1879-12-12) 1879年12月12日
日本北海道宗谷郡宗谷村
死没 (1963-08-14) 1963年8月14日(83歳没)
日本北海道稚内市
国籍 日本
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柏木 ベン(かしわぎ ベン、アイヌ名・Hatankoyma[1]、ハタンコイマッ[2]、ハタンコイマ[3])(1879年明治12年)12月12日 - 1963年昭和36年)8月14日[3])は、宗谷アイヌアイヌ語宗谷方言の話者であり、当地のアイヌ文化の保持者であった。

生涯

1879年12月12日、イキコマナイ 'Ikikomanay(現・稚内市大字宗谷村会所前)に生まれる[1]。父・柏木弁太(ベンタ)(嘉永3年(1850年)6月-?[4])はオランナイ 'Oran Nay(現・稚内市大字宗谷村字第二清浜)の人、父方祖父・イクニンケ 'Ikuninkeは紋別の人、父方祖母はオランナイの人であった[1]。また、父は首長であった[5]。母・シマ(安政4年(1857年)6月-?[4])はその父母ともに石狩の人であり(シマはオランナイ出身との記述もある[4])、宗谷のことは何も知らなかったという[1]。10歳以後はオランナイに住む[1]。明治43年(1910年1月6日に宗谷村41番地津山平吉の養子藤太郎と協議離婚した[4]。昭和17年(1942年)頃失明する[2]。市の生活保護を受けながら、観光客に求められるとユーカラを聴かせていた[4]。また、アイヌ語宗谷方言の最後の話者として調査にも協力し、研究者に多くの資料を提供した[2]ものの、その語彙は限られていたという[6]。宗谷アイヌ最後の一人と見なされている[4]

脚注

  1. ^ a b c d e 服部四郎 編『アイヌ語方言辞典』岩波書店、1964年、14頁https://dl.ndl.go.jp/pid/2503388 
  2. ^ a b c ミンタㇻ”. 北海道新聞デジタル. 2025年5月12日閲覧。
  3. ^ a b 『エカシとフチ』編集委員会 編『エカシとフチ : 北の島に生きたひとびとの記録 別冊』札幌テレビ放送、1983年12月、21頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12145296 
  4. ^ a b c d e f 稚内市史編纂室 編『稚内市史』稚内市、1968年、77頁https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/3448729/1/58 
  5. ^ 日本民謡全集 1 (総論集)』雄山閣出版、1976年、177頁https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/12434429 
  6. ^ 服部四郎 編『アイヌ語方言辞典』岩波書店、1964年、38頁https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2503388 



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