松比良直樹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 01:30 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動松比良 直樹 まつひら なおき | |
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生誕 | 1963年4月13日(58歳) |
出身地 |
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ジャンル |
ロック エレクトロ アンビエント ハウス |
職業 |
プロデューサー・作詞家・作曲家 ナレーター |
活動期間 |
1979年 - 1997年 2007年 - |
レーベル |
BMGビクター nine Records |
事務所 |
キティアーティスト PowerVoice |
共同作業者 |
長岡成貢 江蔵浩一 ケーシー・ランキン |
公式サイト | [1] |
松比良 直樹(まつひら なおき、1963年(昭和38年)4月13日 - )は、日本の男性ミュージシャン。本名は同じ。RUDIE MIDNIGHT RUNNERSのヴォーカル。熊本県熊本市出身。血液型はA型。現在はウィルブロスの代表も務める。
人物・来歴
1979年(昭和54年)、theFUSSを結成する。すぐに熊本や博多80sファクトリー等でライヴを行う。上下関係もあって九州を離れ名古屋での音楽活動を開始する。名古屋では知り合いが全く無かったため所かまわず次々にバンドに声をかけ、地下鉄の車中で現フォトグラファーの野口貴司のバンドWILDRATSに声をかけライブハウスE.L.Lを紹介してもらい出演することとなる。その後、ギターの大西ツルに声をかけD-MORALを結成する。ライブハウスの動員を増やすために出たコンテストが次々とグランプリを獲得。ヤマハミッドランドやソニーSDオーディション、コカコーラフレッシュサウンズコンテストではベストヴォーカル賞を受賞している。その後、CBSソニーと契約を交わすが破談となる。東京でのライヴがきっかけとなり音楽事務所ビーイングの長戸大幸からスカウトされる。そこで作曲家の長岡成貢と出会う。その後、NHKヤングミュージックフェスティバルに出場し中部地区代表となり審査委員長の元スパイダースの井上堯之に発掘される。その後、音楽事務所キティアーティストと仮契約を交わし上京する。活動拠点を東京の新宿LOFTに移す。事務所側とレコード会社側で折合いが付かず事務所を離れ、プライベートオフィスPowerVoiceを設立する。プロデューサーに元SHOGUNのケーシー・ランキンを迎えデモテープを製作する。その後、エピックソニーから手が上がるがソロという条件付きだったため断念する。最終的にBMGビクターからのデビューとなる。ファーストアルバムを制作するためにロンドンに渡りレコーディングを開始する。スタジオは念願だったmaster rock studio。プロデュースは江蔵浩一による。1997年に一時バンド活動を休止して、ARBやシーナ&ロケッツでKeyを担当していた野島健太郎とBUTTERFLYを結成し、新宿ロフトを中心に活動を開始する。2010年にはレーベルNINERECORDSを立ち上げテクノやオルタナ系の若手バンドも手がけている。
ディスコグラフィ
シングル
- Hallo Happy Days(1992年11月21日)
- FASHION(in the power)(1992年11月21日)
- 明日へのONE MORE TRY(1993年7月21日)
- Hey shalala(1993年7月21日)
- ラフレシア(1994年2月21日)
- Easy Come Easy Go(1995年2月10日)
- Monday Morning(1995年5月13日)
- eat eat eat(1995年11月11日)
- カサノヴァの誹謗(1996年6月10日)
- 蝉(1996年6月10日)
- 月の仕業(1996年6月10日)
- スーツケースブルース(1996年6月10日)カヴァー
- S.O.S(1997年10月21日)
- 風が吹く(1997年10月21日)
- No Rules(1997年10月21日)
- チャンネルサーフィンTVキッズ(1997年10月21日)
アルバム
- psyco drops(1993年2月24日)
- No Rules(1997年10月21日)
書籍・掲載
雑誌
- 別冊宝島 ROCK FILE 1988年9月
- アリーナ37℃(音楽専科社) - インタヴュー 1993年2月号
- ギャムセレクトGAMSELECT(主婦の友社) 1994年創刊号
出演
テレビ番組
- 音楽
- ドラマ
外部リンク
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