東福院 (新宿区)とは? わかりやすく解説

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東福院 (新宿区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/06 04:23 UTC 版)

東福院
所在地 東京都新宿区若葉2-2-6
位置 北緯35度41分09.6秒 東経139度43分25.2秒 / 北緯35.686000度 東経139.723667度 / 35.686000; 139.723667座標: 北緯35度41分09.6秒 東経139度43分25.2秒 / 北緯35.686000度 東経139.723667度 / 35.686000; 139.723667
山号 宝珠山
院号 東福院
宗派 新義真言宗
本尊 大日如来
創建年 慶長16年(1611年
開山 祐賢法印
開基 大沢孫右衛門尉
札所等 御府内八十八ヶ所霊場21番札所
公式サイト 納骨堂・永代供養墓|東福院四谷納骨堂【公式】
法人番号 3011105000699
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東福院(とうふくいん)は、東京都新宿区にある新義真言宗寺院

歴史

1611年慶長16年)に開山された。開山は祐賢法印、開基は大沢孫右衛門尉である。元々は江戸麹町に位置していたが、1634年寛永11年)に現在地に移転した[1]

境内には、「豆腐地蔵」と呼ばれる地蔵菩薩像があり、次のような逸話が伝えられている。むかし、当寺付近にあこぎで強欲な豆腐屋があり、その豆腐屋に毎晩豆腐を買いに来る坊さんがいた。そして、この坊さんが買った後の代金を確かめたところ、の葉に変わっているので、化け狐の仕業と思い、後をつけて遂に坊さんの左手を切り捨てた。血痕が続いてたので追ってみたところ、東福院の左手を欠いた地蔵まで続いていた。これを見た豆腐屋は反省して、生涯まっとうな商売をし、この地蔵に奉仕したという[1][2]

かつては、「出世弁財天」と呼ばれる弁才天像もあった。徳川家康の家臣青山忠成は、「一城の主になりたい」と、この弁財天に出世祈願したところ、成就して大名に列することになった。そのことから「出世弁財天」として注目を浴びることになった。しかし、1945年昭和20年)の空襲で焼失し、現存していない[1]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 新宿区立図書館 編『四谷南寺町界隈(新宿区立図書館資料室紀要5)』新宿区立図書館、1971年、p16-17
  2. ^ 東福院新宿観光振興協会

参考文献

  • 新宿区立図書館 編『四谷南寺町界隈(新宿区立図書館資料室紀要5)』新宿区立図書館、1971年

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