杜進誅殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 08:24 UTC 版)
388年3月、呂光が涼州を平定するに当たって杜進の功績は多大であり、その寵重ぶりはどの群臣も及ばなかった。既に行政の長として権勢は呂光に次ぐものがあり、官府に出入りする際には威儀を有していた。呂光の甥(妻の石氏の兄弟の子)である石聡が関中より到来すると、呂光は彼へ「中州の人は我の政化をどのように評しているかね」と問うと、石聡は「ただ聞くのは杜進の事ばかりです。舅(呂光)の事は聞こえておりません」と答えた。呂光は黙然としてしまい、次第に杜進の権勢を警戒するようになり、遂にこれを誅殺した。
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