村木神社とは? わかりやすく解説

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村木神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/19 01:58 UTC 版)

村木神社
所在地 愛知県知多郡東浦町森岡天王西27
位置 北緯34度59分34.1秒 東経136度57分53.9秒 / 北緯34.992806度 東経136.964972度 / 34.992806; 136.964972 (村木神社)座標: 北緯34度59分34.1秒 東経136度57分53.9秒 / 北緯34.992806度 東経136.964972度 / 34.992806; 136.964972 (村木神社)
主祭神 須佐之男命品陀和気命
社格 旧村社
創建 不詳
例祭 おまんと祭り
地図
村木神社
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村木神社(むらきじんじゃ)は、愛知県知多郡東浦町森岡に鎮座する神社社格は旧村社。入海神社伊久智神社藤江神社と同様に、秋祭りとして人馬一体となって駆けるおまんと祭りを催す[1]

祭神

由緒

創建時期は不明だが、古くから津島社があり、延徳3年(1491年)に社殿を再建した記録が残っている[2]

天文23年(1554年)に織田軍と今川軍が争った村木砦の戦いでは、織田信長がこの辺りに本陣を置いたとされている[3]

現在の森岡保育園がある場所には、かつて水野信元の家臣が創建した八幡社があり、1913年(大正2年)に津島社に合祀して名称を村木神社と改めた[2]

例祭

おまんと祭りの馬駆け

おまんと祭り

例年、9月最後の日曜日にはおまんと祭りが催される。若衆が走る馬に飛びついて人馬一体となって疾走するものである[2]尾張地方一円と三河地方の一部で、豊作・村民安全祈願のため、馬を飾り立てて神社に奉納する祭礼であり、馬の塔(おまんと)と呼んでいる。

永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで織田信長が今川義元に勝利すると、村人が戦勝祝いとして清洲城へ馬を走らせたのが始まりで、以後各村が社寺の祭礼行事として馬の塔を行うようになったという[2][4]。村木神社のおまんと祭りも、信長の戦勝祝いで馬を走らせたのが始まりと伝えられている[2]。走る馬に飛びつく馬駆けは、明治中期ごろから始まったとされる[2]

文化財

町指定文化財

  • 村木神社おまんと祭りの馬道具(有形民俗)[5]
  • 森岡の村木神社おまんと祭り(無形民俗)[5]

現地情報

所在地
交通アクセス

脚注

  1. ^ 伝統の秋祭り 東浦町
  2. ^ a b c d e f 現地案内板より
  3. ^ 村木砦の戦い 東浦町
  4. ^ 大須の祭礼行事 馬の塔
  5. ^ a b 町指定文化財 東浦町

関連項目

外部リンク




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