村上忠敬とは? わかりやすく解説

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村上忠敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/18 15:12 UTC 版)

村上 忠敬(むらかみ ただよし[1][2]1907年7月23日[2][3][4] - 1985年2月11日[3][5])は、日本の天文学者広島大学名誉教授[3]広島女学院大学学長[5]

経歴

鹿児島県鹿児島市加治屋町生まれ[4]。天文学者・物理学者である村上春太郎の三男[3]。天体の地図である星座図を作る天文学者になってほしいという春太郎の想いから、日本の測量地図作りで有名な伊能忠敬(ただたか)にあやかり、読みを「ただよし」と変えて名付けられた[3]。1928年旧制第七高等学校造士館(現鹿児島大学)理科卒業[3][6]。1931年京都帝国大学理学部宇宙物理学科卒業[5]金城女子専門学校教授[5]名古屋高等工業学校教授を経て、1941年夏より広島高等師範学校教授[3]。後に、広島大学教養部教授[6]。1970年に広島大学を退官し、広島女学院大学学長に就任[5]。1968年~83年、核禁広島県民会議議長。在韓被爆者のための医師団派遣などに尽力[7]。号霞草[2]。都市計画家の村上處直は長男[3][5]

著書

  • 全天星図/村上忠敬/1934年
  • 新天文講話 太陽・遊星・恒星・銀河・宇宙 単行本 – 1942/9/10
  • 星座 (1948年) (科学の泉〈第18〉) - 1948/1/1
  • 全天星図 (1949年) - 1949/1/1
  • 星座読本 (1975年) (地学・天文教室) - 1975/1/1
  • 全天星図: 2000年分点 大型本 – 1989/3/15

翻訳

  • 星座物語 (1948年) (国民科学文庫〈第11〉) 文庫 1948/1/1
  • われらの宇宙 (1964年) (地学・天文教室)

脚注

  1. ^ 村上, 忠敬, 1907-1985”. 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス. 国立国会図書館. 2025年1月17日閲覧。
  2. ^ a b c 「村上忠敬」『文化人名録』昭和42年版(13版)、日本著作権協議会、1967年。
  3. ^ a b c d e f g h 福井崇時資料集成 第七高等学校造士館の村上春太郎先生」『アリーナ』第15号、中部大学、2013年、464-500頁。
  4. ^ a b 「執筆者小歴」堀川豊永 編『近代日本の科学者 第2巻』人文閣、1942年1月10日、267頁。
  5. ^ a b c d e f 内海和彦「天文教育における二人の大家 ―村上忠敬先生と鈴木敬信先生―」『天文月報』第79巻第9号、日本天文学会、1986年8月20日、238-240頁。
  6. ^ a b 作道好男 江藤武人 編『北辰斜にさすところ 第七高等学校造士館50年史』財界評論新社、1970年10月5日、838頁。
  7. ^ ヒロシマ遺文



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