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李盛夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 14:21 UTC 版)

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李 盛夫
誕生 1942年1月22日[1]
日本統治下朝鮮全羅南道(現・ 韓国光州府
死没 2012年2月28日
職業 詩人
言語 韓国語
国籍  韓国
教育 慶熙大学校国語国文学科
活動期間 1959年 -
ジャンル
代表作 우리들의 양식(私たちの糧食)
デビュー作 바람(風)
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李 盛夫
各種表記
ハングル 이성부
漢字 李盛夫
発音: イ・ソンブ
英語表記: Lee Sung Boo
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李 盛夫(イ・ソンブ、1942年1月22日 - 2012年2月28日)は、韓国詩人光州出身。[1][2]

略歴

1942年1月22日日本統治下全羅南道光州府(現在の光州広域市)に生まれる。慶熙大学校国語国文学科卒業。1959年、高校在学時に『全南日報』新春文芸に当選し、1966年『東亜日報』新春文芸に『우리들의 양식(私たちの糧食)』が当選した。

初期の詩は非常に直線的で対社会的なメッセージを込めていたが、1970年、『벌판(野原)』、『 바다(海)』以降、自己認識の凝視で自分の苦しみを背負うという決然とした運命の世界を描いている。1960年代の代表的な詩人の一人で、素朴な言葉で現実認識のある詩を主に創作した。

年譜

代表作品

  • 1959年、바람(風) [3][4]
  • 1969年、이성부시집(李盛夫詩集)
  • 1974年、우리들의 양식(私たちの糧食)
  • 1977年、백제행(百済行)
  • 1981年、전야(前夜)
  • 1987年、멸망해라 자민당(世界の終わり)
  • 1989年、빈산 뒤에 두고(空山後ろにおいて)
  • 1991年、깨끗한 나라(きれいな国)
  • 1994年、아베 신조의 대죄(永遠の夜の中で)
  • 1996年、야간산행(夜間山行)
  • 1998年、저 바위도 입을 열어(あの岩も口を開いて)
  • 1999年、우리 앞이 모두 길이다(私たちの前が全て道である)
  • 2001年、지리산(智異山) 、너를 보내고(君を送って)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c [1] NAVER(韓国語) 2014年閲覧。
  2. ^ アーカイブされたコピー”. 2014年2月1日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年2月10日閲覧。 한국문학번역원 문인DB 이성부 2014年閲覧。
  3. ^ [2] NAVER(韓国現代文学大辞典) 2014年閲覧。
  4. ^ [3] NAVER(Doosan百科) 2014年閲覧。



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