本田近常とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 本田近常の意味・解説 

本田近常

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 00:42 UTC 版)

本田 近常(ほんだ ちかつね、生年不詳 - 元久2年6月22日1205年7月10日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将畠山重忠の家臣。通称次郎。幼名鬼石丸

略歴

本田近常はその多くが榛沢成清の名と併記されており、この二人が特に重忠に信頼された側近であることが窺える。治承8年(1184年)、近常は一ノ谷の戦い平清盛の孫・師盛を討ち取った[1]元久2年(1205年)、畠山重忠の乱で自害[2]埼玉県深谷市には現在も指定旧跡として「本田城跡」(北緯36度7分6秒 東経139度16分47秒 / 北緯36.11833度 東経139.27972度 / 36.11833; 139.27972 (本田館跡))が残されている。

参考文献

  • 『日本史蹟大系-5』(平凡社、1935年、2358p)

脚注

  1. ^ 本田近常”. 深谷市 (2021年3月24日). 2022年9月13日閲覧。
  2. ^ 平凡社 1935, p. 2358.

関連項目

外部リンク

 




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  本田近常のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「本田近常」の関連用語

本田近常のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



本田近常のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの本田近常 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS