本属へのかつての言及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 03:23 UTC 版)
「ブラキプテリギウス」の記事における「本属へのかつての言及」の解説
リチャード・オーウェンは1840年の論文において、キンメリッジから出土した単一の脊椎骨 ANSP 10124 に基づいてイクチオサウルス・トリゴヌスを設置した。模式標本は長期にわたって失われていたと考えられていたが、1988年に再発見された。数多くの標本がイクチオサウルス・トリゴヌスと同定されており、現在におけるオフタルモサウルスやブラキプテリギウスおよびナノプテリギウスは同種のシノニムとするべきであるとバウアーは1898年の論文で提唱している。Huene は1922年の論文においてイクチオサウルス・トリゴヌスをマクロプテリギウス属とし、翌年にはその属の模式種とした。現在ではイクチオサウルス・トリゴヌスは(そしてゆえにマクロプテリギウスも)模式標本がオフタルモサウルスと判別できないため疑問名とされている。なお、イクチサウルス・トリゴヌスは Ophthalmosaurus icenicus とシノニムである可能性があるとして McGowan と Motani は間違った主張をしている。 リチャード・リデッカーは上腕骨 NHMUK 43989 に基づいてイギリスのケンブリッジの白亜紀前期アルビアン期にあたるケンブリッジ・グリーンサンドから Ophthalmosaurus cantabridgiensis を記載した。 McGowanb と藻谷亮介は2003年の論文においてこれをブラキプテリギウス属の1種として考えていたが、オフタルモサウルス亜科を超えた段階での疑問名として再評価された。
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