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木村吉太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/25 05:50 UTC 版)

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木村吉太郎

木村 吉太郎(きむら きちたろう、1898年明治31年)5月23日[1] - 1937年昭和12年)4月4日[2])は、日本の衆議院議員立憲民政党)。サッカー選手。

経歴

大阪市南区(現在は浪速区)出身[3]早稲田大学に学ぶ。大阪サッカー倶楽部部長を務め、極東選手権競技大会明治神宮競技大会に出場した[4]。大阪府会議員に3度、同参事会員に2度選ばれ、大阪市会議員・同参事会員にも選出された[4]

1936年(昭和11年)、第19回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。

また若槻礼次郎立憲民政党総裁秘書も務めた[3]

脚注

  1. ^ 衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、4頁。
  2. ^ 『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』
  3. ^ a b 『粛正選挙代議士名鑑』p.132
  4. ^ a b 『衆議院議員略歴』

参考文献

  • 『粛正選挙代議士名鑑』選挙粛正中央会編纂部、1936年。
  • 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。



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