木下航二
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木下 航二(きのした こうじ、1925年12月16日 - 1999年11月19日)は、教育者、作曲家。
来歴・人物
東京府出身。東京府立一中、旧制一高を経て、東京大学文学部東洋哲学専攻卒業。すぐに都立日比谷高等学校教諭となる。1954年、ビキニ環礁上にて水爆実験が行われ、第五福竜丸が被爆、原水爆反対の署名運動に参加し、「原爆を許すまじ」を独学で作曲した。曲は当時の「うたごえ運動」にのって全国に広まり、翌年に第1回原水爆禁止世界大会で参加者に歌われた。 また1955年には、作曲した「しあわせの歌」(作詞:石原健治)が労働運動の広がりとともに広く歌われるようになった[1]。
1960年代後半まで校歌・組合歌など80曲あまりを作曲したが、以後作曲から手を引き、昇進も断り母校にて独自の教材を基に倫理・社会教諭として1991年まで教壇にたった。
脚注
- ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、68頁。ISBN 9784309225043。
関連項目
- 東京都立日比谷高等学校の人物一覧(旧学校長・教職員)
参考文献
- 「CD現代日本人名録物故者編 1901-2000」日外アソシエーツ
固有名詞の分類
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