朝鮮アジア太平洋平和委員会とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 朝鮮アジア太平洋平和委員会の意味・解説 

朝鮮アジア太平洋平和委員会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/24 12:37 UTC 版)

朝鮮アジア太平洋平和委員会
各種表記
チョソングル 조선아시아태평양평화위원회
漢字 朝鮮亜細亜太平洋委員會
発音 チョソナシアテピョンヤンピョンファウィウォヌェ
日本語読み: ちょうせんあじあたいへいようへいわいいんかい
文化観光部2000年式 Choshun Asia Tepyeongyang Pyeonghwa Wiwonwe
テンプレートを表示

朝鮮アジア太平洋平和委員会(ちょうせんあじあたいへいようへいわいいんかい)は、朝鮮労働党の外郭団体である。

概要

形式的には民間組織のような性格をもたせているが、実際には1994年夏に設立された朝鮮労働党の外郭団体である。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は大韓民国日本などすべての資本主義国を敵とみなしており、そうした敵国から資金食糧技術など北朝鮮が必要とするものを調達するとき、特別に設けられた対外的な窓口のひとつとなる[1]。北朝鮮の戦略を実現する際の臨時の組織であり、アジア太平洋諸国との関係改善の窓口として北朝鮮の対外的なイメージの改善に努めている[1]

主な業務

最高指導者の戦略に沿って必要なときだけ構成され、対外的にそれが北朝鮮の平和・外交チャンネルだとみえるように、外務部など他の部署からも成員を入れて偽装している[1]。対象と目的によって構成員を入れ替えるため、常任はいない[1]。固定した本部や建物もなく、朝鮮労働党統一戦線部の政策課が立てた戦略だけが存在する[1]

近年は、南北間の各種人的交流と経済協力の執行機関としての役割を担い、開城特別市の観光事業、江原道金剛郡金剛山観光事業、南北首脳会談の窓口業務をおこなっている。

代表者

1990年金丸信訪朝の際に暗躍した金容淳は、1992年以降、対南工作を担当するようになり、1994年5月、アジア太平洋平和委員会を立ち上げて、その代表者となった。金容淳は、その死去(2003年)まで委員長を務めた[1]

参照

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f 櫻井よしこ (2009年1月8日). “小泉元首相は"拉致問題"で1兆円支払いを"密約"していた!”. 週刊新潮. 2025年8月22日閲覧。

参考文献



このページでは「ウィキペディア」から朝鮮アジア太平洋平和委員会を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から朝鮮アジア太平洋平和委員会を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から朝鮮アジア太平洋平和委員会 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  朝鮮アジア太平洋平和委員会のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「朝鮮アジア太平洋平和委員会」の関連用語

朝鮮アジア太平洋平和委員会のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



朝鮮アジア太平洋平和委員会のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの朝鮮アジア太平洋平和委員会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS