朝井影長とは? わかりやすく解説

朝井影長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/24 02:21 UTC 版)

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朝井 影長(あさい かげなが、貞享元年11月16日1684年12月22日) - 明和5年11月7日1768年12月15日))は尊孝法親王の坊官勧修寺門跡の坊官。藤原朝臣家紋丸に三つ引き

丸に三つ引

経歴

近江国郷士の淺井傅兵衛清貞の子として貞享元年(1684年)11月16日に誕生。初名を新七郎影長。元禄13年(1700年)奥田新七と改名。又姓を朝井と改める(事実上朝井家初代当主となる)。正徳元年(1711年)10月、東山天皇中宮承秋門院幸子女王に奉仕。宝暦4年(1754年)12月14日勧修寺の尊孝法親王の坊官となる。同月16日得度名号有壽となり、26日法橋に叙せられ、同12年(1762年)5月15日法眼に進み、治部卿と称す。明和5年(1768年)11月7日、85歳で卒去。

系譜

先代:
-
朝井家
初代
次代:
朝井景福

関連項目





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