朗公谷山寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 16:56 UTC 版)
霊巌寺近郊への仏教流入は、五胡十六国時代にまで遡り得る。それは、後趙の竺僧朗が、寺を建てたとする記録に相当する。竺僧朗は仏図澄の弟子であり、冉閔の乱を避けて、351年(皇始元年)に泰山の金輿谷(朗公谷)に精舎を建立したという(『高僧伝』巻5)。竺僧朗は、前秦の苻堅らの各地の争覇者の帰依を受け、広壮な伽藍を重建した。苻堅らの帰心するさまは、『広弘明集』などに残された書簡等に見ることができる。
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