曲直瀬道策の横死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 01:58 UTC 版)
曲直瀬道策が大坂で壬生浪士により殺害された件に関し、中村勇吉が真奈瀬へ送った書簡に討幕の秘策が書かれていた為、書簡の紛失を危ぶみ、中岡慎太郎が乾退助の身を案じ注意を呼びかけた(慶応3年6月12日(1867年7月13日))。 …然る処中村氏(中村勇吉)より真奈瀬氏への書状の事、深(深尾三九郎茂勝)君より承り候処、真奈瀬(曲直瀬道策)儀は先達て大坂に於て壬生浪士のために殺害せられ候由。彼の書状の事、如何(いかが)成り候哉と懸念に堪えず。 — (慶応3年6月12日 乾退助宛て中岡慎太郎書簡)
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