昔于老
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昔于老(せき うろう、? - 253年?)は、新羅の軍人・高級官僚。第10代の王奈解尼師今の長子であり、弟に昔利音がいる。あるいは角干(1等官の伊伐飡の別名)の昔水老の子ともいう。230年に奈解尼師今が死去したときに于老は太子の位にあったが王位を継がず、奈解尼師今にとっては従兄にあたる助賁尼師今が王位を継承した。後に助賁尼師今の王系が途絶えたときに、于老の子が16代王の訖解尼師今となった。数々の軍功とともに悲劇的な最期を迎えたことが、『三国史記』巻45に列伝を建てられて記されている。『日本書紀』神功皇后紀の分注に記される新羅王、宇流助富利智干(うるそほりちか)と同一人物か[1][2]。
- ^ “日本書紀/卷第九 - 维基文库,自由的图书馆” (中国語). zh.wikisource.org. 2023年10月15日閲覧。
- ^ 宇治谷孟の現代語訳『日本書紀』で宇留助富利智干とあるのは誤りである。
- ^ 沙梁伐国の反乱と昔于老による討滅については、新羅本紀には対応する記事は見られず、昔于老伝のみの記事となっている。
- ^ 昔于老の殺害については、新羅本紀では沾解尼師今3年(249年)4月のこととし、昔于老伝では沾解尼師今の7年(253年)のこととする。
- ^ 新羅本紀・味鄒尼師今紀には対応する記事は見られない。『日本書紀』巻9・神功皇后摂政前紀の後部の長大な分注記事が、倭人による昔于老の殺害と、その妻の倭人への報復記事と関連していると言われる。(→井上訳注1980 p.64)
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