明治裁縫学校とは? わかりやすく解説

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明治裁縫学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/21 13:44 UTC 版)

明治裁縫学校(めいじさいほうがっこう)は、鈴木多満子(たま)によって、1896年明治29年)に群馬県前橋市に設立された私立女学校である。戦後は私塾として活動した。

歴史

鈴木多満子が1896年に前橋市馬場川通りに「上毛裁縫伝習所」を設立した。従来の裁縫教育にある師匠と縫子の関係を見直し、一斉指導として女子教育に先鞭をつけた。生徒数の増加により1904年(明治37年)に同市田中町(現・表町)に移転し、校名を「明治裁縫学校」とする。当時の校長は鈴木多満子で校主は多満子の夫・鈴木宗十郎だった。

女子教育の神髄は「人として道をわきまえる事」であるとし、「誠実 礼節 勤労」に上に専門技術の習得を重点とした。茶道裏千家華道は古流、作法は小笠原流を採用。最盛期には本科、別科、研究科、師範科をおき卒業生は1万人を数えた。

太平洋戦争で校舎は徴用され休校。校舎は前橋空襲で全焼した。

戦後の1946年昭和21年)年1月に「明治裁縫塾」として再開。1955年(昭和30年)、多満子の高齢により閉校となった。

登場作品

智本光隆『氷上の花光らしむー幻の札幌五輪を夢見たカーリングガールズー』(郁朋社 2024年)明治高等女学校として登場。

参考文献

  • 大学婦人協会群馬支部(編)『近代群馬の女性たち』みやま文庫(40)、1971年



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