旧大家倉庫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/06 08:55 UTC 版)

旧大家倉庫(きゅうおおいえそうこ[1])は、北海道小樽市の小樽運河沿い(小樽市色内2丁目)にある石造倉庫跡。旧小樽倉庫と共に、運河沿いにある倉庫群の中でも代表格と呼べる存在である[2][3]。小樽市指定歴史的建造物第1号[1][2]。
建物
1891年(明治24年)、北前船の海産物問屋大家商店の四代目大家七平により、自家用の倉庫として建設された[4]。木骨石造の平屋建て倉庫であり[1][2]、外壁には札幌軟石が用いられている[1]。
入口に左右対称に設置された二重のアーチ[5]、屋根の上に採光や通風のためのもう一つの屋根を重ねた「越屋根(こしやね)」と呼ばれる構造[6]、創設者の大家七平の名にちなんだ「ヤマシチ」印[1][2]、屋根の採光窓などが建築上の特徴とされる[1]。アーチの上にある横一線は、かつて豆の選別などのために、屋根を差し掛けて小屋を設けた跡であり、戦中に防火のために取り壊しを命じられた[1][5]。
運河沿いの石造倉庫の中でもひときわ大きな建物であり[7]、旧小樽倉庫などの倉庫群と共に、かつての小樽港の繁栄ぶりを、現在へ伝える存在でもある[3]。1985年(昭和60年)に、小樽市指定歴史的建造物第1号に指定された[1][2]。
利用
大家七平およびその息子の五代目大家七平が死去し、大家家の海運業が終焉した後も、倉庫として営業が続けられた[1]。その後の1992年(平成4年)6月、大家倉庫および隣接する旧稲積倉庫を再利用する形で、玩具や菓子などを販売する「OTARU TOYS(オタルトーイズ)」が開店した[8]。開店にあたっては改装も行われたものの、倉庫の原形がほぼそのまま留められた[8]。日本国内外のブリキ玩具を展示・販売する「ブリキのオモチャ博物館」が目玉とされ[8]、玩具収集家として知られる北原照久の多数の玩具などが並び、観光客らの人気を集めたが、営業不振により1996年(平成8年)4月に閉店した[9]。
その後の大家倉庫は4年間にわたって空き家状態となった後、2000年(平成12年)11月に北一硝子の関連会社である「北一」により売却され、その際に屋根瓦などが修復された[1][6]。現在は建物内は非公開であり[2][5]、外観のみが見学可能である[4]。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j 高野宏康 (2018年10月). “小樽れっけん - 旧大家倉庫(北一硝子倉庫)”. 小樽チャンネルマガジン Vol.35. 株式会社K2. pp. 10-11. 2025年7月6日閲覧。
- ^ a b c d e f “旧北浜地区倉庫群(4)旧大家倉庫”. 北前船データベース. 北前船日本遺産推進協議会. 2025年7月6日閲覧。
- ^ a b 「北の「ウォール街」北海道・小樽市色区地区」『経済ライフ』第24巻第7号、国連経済社、1990年8月1日、24頁、doi:10.11501/2853302、全国書誌番号:00036429。
- ^ a b “大家倉庫”. 小樽ジャーナル. 小樽ジャーナル社. 2025年7月6日閲覧。
- ^ a b c “旧大家倉庫”. 北海道文化資源データベース. 北海道環境生活部文化局文化振興課. 2025年7月6日閲覧。
- ^ a b 「小樽の歴史的建造物第1号 旧大家倉庫を売却 北一硝子の関連会社に 建物残し再利用へ」『北海道新聞』北海道新聞社、2000年11月7日、全道夕刊、10面。
- ^ 「大家倉庫を再利用、おもちゃの施設に」『北海道新聞』北海道新聞社、1991年8月24日、全道朝刊、25面。
- ^ a b c 『しりべし地域活性化の軌跡』 第6集、北海道後志支庁、1993年、12頁。doi:10.11501/12759151。全国書誌番号: 94007709。
- ^ 「小樽「ブリキのオモチャ博物館」物販伸び悩み閉館へ 問われる冬季観光振興策」『北海道新聞』北海道新聞社、1996年4月11日、樽B朝刊、27面。
座標: 北緯43度12分06.362秒 東経141度0分0.218秒 / 北緯43.20176722度 東経141.00006056度
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