日本マットでの活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 03:44 UTC 版)
「ドミニク・デヌーチ」の記事における「日本マットでの活動」の解説
1968年4月、ドン・デヌーチのリングネームで日本プロレスに初来日、『第10回ワールドリーグ戦』に「イタリア代表」として出場した。1971年11月の再来日では、同月24日に姫路にて大木金太郎のアジアヘビー級王座に挑戦。3度目の来日となる1972年10月には、全日本プロレスの旗揚げシリーズに盟友ブルーノ・サンマルチノと共に参戦している。WWFと新日本プロレスの提携後も新日本には来日せず、サンマルチノの縁故で1981年10月まで通算5回全日本プロレスに来日したが、日本では真価を発揮することはできなかった。
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