日下部宗正
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/10 22:05 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 慶安4年(1651年) |
別名 | 五郎八、兵右衛門[1] |
主君 | 徳川秀忠 |
氏族 | 日下部氏 |
父母 | 日下部宗好、成瀬正一娘[1] |
子 | 定芳(宗芳)[1] |
日下部 宗正(くさかべ むねまさ)は、江戸時代の武士。江戸幕府旗本。
経歴・人物
徳川秀忠に仕え、西丸小姓組番士となり、蔵米200俵を賜う[1]。寛永10年(1633年)2月7日200石を加えられ、蔵米を采地に改められ知行高400石となる[1]。2月26日家督を継ぐ[1]。
脚注
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