日下周一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 日下周一の意味・解説 

日下周一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/24 05:49 UTC 版)

日下 周一(くさか しゅういち、1915年10月17日[1] - 1947年8月31日[1])は、日本生まれの物理学者である。

素粒子物理学の初期にアメリカ合衆国で活躍した。

大阪市旭区生まれ。4歳の時に父親の仕事の関係でカナダに移住。ブリティッシュコロンビア大学を卒業した後にアメリカ合衆国に移り、マサチューセッツ工科大学カリフォルニア大学バークレー校にてアインシュタインオッペンハイマーのもとで素粒子物理学を研究した。この頃訪米した湯川秀樹とも対面している。

太平洋戦争勃発後もアメリカに残り、敵国人として苦労しながら研究を続けて1942年に博士号を取得。翌年にはパウリと共同で核力理論の論文を執筆。プリンストン大学助教授に就任した直後の1947年、海水浴中に溺死した。享年31。

死去の翌年、プリンストン大学に日下奨学金が設けられた。1960年に来日したオッペンハイマーは日下の両親を訪問している。2005年10月に、大阪市立科学館で「日下周一シンポジウム」が開かれた。

脚注

  1. ^ a b 日下周一年譜”. 2023年8月1日閲覧。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日下周一」の関連用語

日下周一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日下周一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの日下周一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS