旅の背景と目的
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 14:32 UTC 版)
オドリコの旅は、外交使節として一般的なもので、更に宗教的な目的を併せ持っていた。13世紀前半にモンゴル人がヨーロッパに侵入し、1237年から翌年にかけてロシアの殆どを略奪し、1241年にはポーランドを荒廃させ、突然退却していった。教皇インノケンティウス4世は1245年にモンゴルの大汗への最初の使節を派遣した。この時の使節がフランシスコ修道会のプラノ・カルピニだった。このような教皇の外交政策は14世紀にも引き継がれ、ニコロ、マフェオ、マルコ・ポーロらの1260年から1271年の2度の旅や、1294年のモンテコルヴィーノの教皇ニコラオス4世の派遣へと展開していった。
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