新見有弘とは? わかりやすく解説

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新見有弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/27 20:35 UTC 版)

 
新見有弘
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
官位 山城守
幕府 室町幕府
氏族 新見氏
父母 不明[注釈 1]
孫三郎、忠弘、内豎
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新見 有弘(にいみ ありひろ)は、戦国時代地下官人

概要

新見氏の当主であった有弘は、天文8年(1539年)に「六条金仏」の同朋である真継新九郎・真継久直親子に借銭を肩替わりしてもらっていた。当時の新見氏は、有弘の子の孫三郎が大永7年(1527年)に盗人と与したとして斬首されているなど金銭的・社会的に困窮していた[注釈 2]。そのため、天文5年(1536年)に一度実子の新見忠弘に家督を継承させたものの、同8年(1539年)には借銭の代償としてから蔵人所御蔵と鉄公役諸国金屋職の役職を久直に継承させ(と久直は主張しているが実際は久直による譲状捏造の可能性が高い)、同12年(1542年)に後奈良天皇から正式に認められている[2][3]

久直が家督を継承した後、本来の当主である忠弘は下京の無縁所に捨てられ歩けなくなり餓死したという。孫三郎の子・富弘は久直が新見氏を乗っ取ったとして訴訟を起こしているが敗訴している[4][5]

脚注

注釈

  1. ^ 『地下家伝』では新見忠弘の子とされるが実際は忠弘は有弘の子である、
  2. ^ 御蔵職を獲得した新見氏は分家であり、本家の当主である新見国経は官途名として蔵人を名乗っていたが、これは在京していた一族が御蔵職に補任されて蔵人所小舎人の地位を得たことと関連していると推察できる。そして、大永7年(1527年)以降は備中守を名乗り在地領主として尼子氏に帰順していることから、備中国の新見氏と在京の新見氏の関係が途切れ、有弘・孫三郎・忠弘の困窮に繋がった[1]

出典

  1. ^ 吉永隆記「国人領主の在京活動 : 備中国新見氏と御蔵職[1]」『史学雑誌 122巻』第8号(史学会、2013年)
  2. ^ 酒匂由紀子『室町・戦国期の土倉と酒屋』(吉川弘文館、2020年)
  3. ^ 笹本正治「近世初期における真継家の鋳物師支配―宗弘と真継家―」『名古屋大学文学部研究論集史学 第30号』1-22頁(名古屋大学文学部、1984年)
  4. ^ 酒匂由紀子『室町・戦国期の土倉と酒屋』(吉川弘文館、2020年)
  5. ^ 笹本正治「近世初期における真継家の鋳物師支配―宗弘と真継家―」『名古屋大学文学部研究論集史学 第30号』1-22頁(名古屋大学文学部、1984年)

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