新屋氏
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新屋氏 | |
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本姓 | 称・清和源氏南部七戸氏庶流 |
種別 | 武家 士族 |
出身地 | 陸奥国新屋村 |
主な根拠地 | 陸奥国新屋村 |
著名な人物 | 新屋源次郎 新屋茂樹 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
新屋氏(あらやし)は、日本の氏族。戦国時代から江戸時代にかけて津軽氏に仕えた。
概要
南部七戸氏の支流で鎌倉時代に新屋城を築城し、「新屋」を家名とした。南北朝時代は南朝方に属した。戦国時代の当主は新屋源次郎であり、1900石(1700石との史料もあり)の領主であった。尾崎城主の尾崎氏とは同盟関係にあり、大光寺城主滝本重行の配下であった。
天正2年(1574年)に大光寺城が大浦為信に攻められた際、重行に援軍を派遣しなかった。そのため、翌天正3年(1575年)に怒った重行の軍勢300が新屋城へ攻め寄せた。当時源次郎は堀越城にいたため、その虚を突かれて落城し、源次郎は浪岡城に逃れた。その後諸説あるが、天正4年(1576年)(藩史)、天正2年(1574年)(一統志)、天正11年(1583年)(津軽年代記)に尾崎城主尾崎喜蔵と共に大浦為信の家臣となった。100石を与えられて弘前藩士となった新屋氏は幕末まで続き、源次郎より13代目の当主新屋茂樹は近衛文麿の秘書を務めた。
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