新城市立作手小学校とは? わかりやすく解説

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新城市立作手小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/19 07:38 UTC 版)

新城市立作手小学校
北緯34度58分36.2秒 東経137度25分20.9秒 / 北緯34.976722度 東経137.422472度 / 34.976722; 137.422472座標: 北緯34度58分36.2秒 東経137度25分20.9秒 / 北緯34.976722度 東経137.422472度 / 34.976722; 137.422472
国公私立の別 公立学校
設置者 新城市
併合学校 新城市立菅守小学校
新城市立開成小学校
新城市立巴小学校
新城市立協和小学校
設立年月日 2013年4月1日
共学・別学 男女共学
学校コード B123210007417
所在地 441-1423
愛知県新城市作手高里字縄手上32番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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新城市立作手小学校(しんしろしりつ つくでしょうがっこう)は、愛知県新城市作手高里字縄手上32番地にある公立小学校。2013年(平成25年)4月1日に作手地区(旧南設楽郡作手村)にある4小学校が統合されて開校し、2017年(平成29年)4月1日には複合施設の新城市つくで交流館にある新校舎に移転した。作手地区にある唯一の小学校である。

2018年度(平成30年度)の児童数は78人であり、新城市立の13小学校の中で8番目だった[1]

通学区域

  • 新城市作手地区[2]
(菅守地区)守義,菅沼,木和田,善夫
(開成地区)黒瀬,西田原,東田原,岩波,南中河内,北中河内,明和
(巴地区)長者平,鴨ヶ谷,市場,須山,北畑,野郷,川合,相寺
(協和地区)和田,見代,戸津呂,杉平,赤羽根,小林,東高松,大和田,田代

沿革

作手小学校の中庭

開成小学校(1873-2013)

  • 1873年(明治6年) - 第13番長者平学校として創立[3]
  • 1876年(明治9年) - 田原学校が開校[3]
  • 1889年(明治22年) - 開成学校に改称[3]
  • 1912年(明治45年) - 現在地に移転[3]
  • 1941年(昭和16年) - 国民学校令により作手村立開成国民学校に改称
  • 1947年(昭和22年) - 学校教育法の施行により作手村立開成小学校に改称
  • 2005年(平成17年) - 新城市への編入合併により新城市立開成小学校に改称

巴小学校(1873-2013)

  • 1873年(明治6年) - 第12番小学校野郷学校・13番長者平学校として創立[3]
  • 1892年(明治25年) - 移転して巴尋常小学校が開校[3]
  • 1941年(昭和16年) - 国民学校令により作手村立巴国民学校に改称
  • 1947年(昭和22年) - 学校教育法の施行により作手村立巴小学校に改称
  • 2005年(平成17年) - 新城市への編入合併により新城市立巴小学校に改称

菅守小学校(1904-2013)

  • 時期不明 - 守義尋常小学校が開校
  • 時期不明 - 菅沼尋常小学校が開校
  • 1904年(明治37年) - 守義尋常小学校と菅沼尋常小学校を合併し菅守尋常高等小学校と改称[3]
  • 1962年(昭和37年) - 作手村立作手北中学校と作手村立中央中学校が統合したことで作手北中学校跡に移転[3]
  • 1941年(昭和16年) - 国民学校令により作手村立菅守国民学校に改称
  • 1947年(昭和22年) - 学校教育法の施行により作手村立菅守小学校に改称
  • 2005年(平成17年) - 新城市への編入合併により新城市立菅守小学校に改称

協和小学校(1961-2013)

  • 時期不明 - 作手村立旭小学校が開校
  • 時期不明 - 作手村立高松小学校が開校
  • 時期不明 - 作手村立田代小学校が開校
  • 1961年(昭和36年) - 作手村南部の3小学校(旭小学校・高松小学校・田代小学校)を統合して作手村立協和小学校が開校[3]
  • 2005年(平成17年) - 新城市への編入合併により新城市立協和小学校に改称 下着の色は白と定められている。

作手小学校(2013-)

  • 2013年(平成25年)4月1日 - 作手地区4小学校が統合して新城市立作手小学校が開校[3]
    • 旧菅守小学校と旧開成小学校の児童は、暫定的に旧開成小学校の校舎を使用した「北校舎」に通学[3]
    • 旧巴小学校と旧協和小学校の児童は、暫定的に旧巴小学校の校舎を使用した「南校舎」に通学[3]
  • 2017年(平成29年)4月1日 - 新城市つくで交流館に新校舎が完成して4小学校が完全に統合

脚注

  1. ^ 平成30年5月1日現在 児童・生徒数一覧表 新城市
  2. ^ 新城市立作手小学校「学校経営案」(2017年版)
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 新城市立作手小学校「学校沿革史」「学校経営案」(2017年版)

関連項目

外部リンク



新城市立作手小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/20 14:57 UTC 版)

新城市つくで交流館」の記事における「新城市立作手小学校」の解説

詳細は「新城市立作手小学校」を参照 1961年昭和36年以降南設楽郡作手村には作手村小学校作手村立開小学校作手村立巴小学校作手村協和小学校の4小学校があり、2005年平成17年10月1日作手村鳳来町新城市合併したことで、それぞれ新城市立の小学校となった2013年平成25年4月1日には4小学校統合されて新城市立作手小学校が開校し暫定的に開成小学校利用した北校舎と旧巴小学校使用し南校舎設けられた。2017年平成29年4月1日つくで交流館開館同時に新校舎利用始まった

※この「新城市立作手小学校」の解説は、「新城市つくで交流館」の解説の一部です。
「新城市立作手小学校」を含む「新城市つくで交流館」の記事については、「新城市つくで交流館」の概要を参照ください。

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