斎藤眞澂とは? わかりやすく解説

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斎藤真澂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/16 04:45 UTC 版)

斎藤 真澂(さいとう しんちょう、1880年明治13年〉1月2日[1][2][3] - 没年不明[3])は、昭和時代前期の日本の政治家鉄道官僚三重県宇治山田市長

経歴

国井清廉の三男として岐阜県、のちの羽島郡笠松町に生まれ、斎藤光の入夫となる[1]1906年(明治39年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業[1][4][2]。更に大学院に学んだ[4]。帝国鉄道院に出仕し、同書記、同参事、鉄道局参事、札幌、仙台、各鉄道局運輸課長、鉄道監察官を経て、札幌鉄道局長および鉄道省監察局長に進んだのち退官する[4]。その後、参宮急行電鉄専務取締役を経て、1935年(昭和10年)11月、宇治山田市長に就任した[4][2]1940年(昭和15年)1月、再選した[1]。3期務め1946年(昭和21年)3月に退任[2]。その後、公職追放となった[5]

脚注

  1. ^ a b c d 帝国秘密探偵社 1943, 三重9頁.
  2. ^ a b c d 『日本の歴代市長 第2巻』633頁。
  3. ^ a b 日外アソシエーツ 2022, 257頁.
  4. ^ a b c d 帝国自治協会 1938, 99頁.
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿516頁。公職追放の該当事項は「翼賛宇治山田市支部長同協」。

参考文献




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