斎藤定易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 08:19 UTC 版)
![]() |
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。(2025年4月)
|
斎藤 定易(さいとう さだやす、明暦3年2月29日〈1657年4月12日〉[1] - 延享元年8月17日〈1744年9月23日〉)は、江戸時代前期からから中期の武士、馬術家。馬術の大坪流から大坪本流を開いた。通称は主税。号は春生軒、青人。
人物
江戸で福岡藩士の子として生まれる。大坪流の8代・斎藤求馬助辰光の弟子となり、大坪流の奥義を究めた。
李氏朝鮮より伝わった曲馬術を見て、その乗馭法の長所を取り入れ、馬に関する諸術を総括し、五馭の法を唱えた。これを大坪本流と称してその普及に努めた[2]。墓所は渋谷区の宝泉寺。
著書
- 『武馬見笑集』
- 『武馬必用』
- 『馭馬大元記』
等著作や伝書多数
脚注
- ^ 安藤武彦「徳元年譜考―出自・家族及び青年期まで―」、『国文学年次別論文集近世 昭和58(1983)年 1』朋文出版、1985年、p.112。
- ^ コトバンク 斎藤定易
- 斎藤定易のページへのリンク