斎藤定易
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斎藤 定易(さいとう さだやす、明暦3年〈1657年〉- 延享元年甲子8月17日〈1744年9月23日〉)は、江戸時代前期からから中期の武士、馬術家。馬術の大坪流から大坪本流を開いた。通称は主税。号は春生軒、青人。
人物
江戸で福岡藩士の子として生まれる。大坪流の8代・斎藤求馬助辰光の弟子となり、大坪流の奥義を究めた。
李氏朝鮮より伝わった曲馬術を見て、その乗馭法の長所を取り入れ、馬に関する諸術を総括し、五馭の法を唱えた。これを大坪本流と称してその普及に努めた[1]。墓所は渋谷区の宝泉寺。
著書
- 『武馬見笑集』
- 『武馬必用』
- 『馭馬大元記』
等著作や伝書多数
脚注
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