教育_(教育科学研究会)とは? わかりやすく解説

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教育 (教育科学研究会)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/24 09:05 UTC 版)

月刊『教育』 
学術分野 教育学
言語 日本語
詳細
出版社 旬報社
出版国 日本
出版歴 1951年11月 - 現在
出版間隔 月刊
分類
ISSN 0386-9938
外部リンク
プロジェクト:出版Portal:書物
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教育』(きょういく)は、教育科学研究会が編集にあたり、旬報社が発行元となっている月刊誌[1]

前史:戦前期の教育科学研究会と『教育』

岩波書店は、1931年から1933年にかけて阿部重孝城戸幡太郎留岡清男らによる講座『教育科学』を刊行し、その付録を母体として、1933年4月に雑誌『教育』が発行されるようになった[2]。初期の『教育』には、戸坂潤羽仁五郎矢内原忠雄宮本百合子など、社会主義者や自由主義者の寄稿が掲載されていた[2]1937年5月には教育科学研究会が結成されたが、やがて大政翼賛会の体制に組み込まれ、1941年5月に教育科学研究会は解散し、1944年3月には『教育』も廃刊されるに至った[2]

『教育』の「復刊」以降

第二次世界大戦後、教育科学研究会の再建を模索した宗像誠也宮原誠一勝田守一らによって、まず『教育』が1951年11月に国土社を発行元として「復刊」し、さらに1952年3月に開催された大会によって、教育科学研究会が再建された[2]

「復刊」以降、長らく国土社が発行元であったが、2012年4月からはかもがわ出版に変わり[2]、さらに2020年4月からは旬報社が発行元となっている[1]

編集長

戦後の教育科学研究会においては、委員長、事務局長と並んで『教育』編集長が三役に位置付けられてきた[3]。初代の勝田守一をはじめ、数多くの教育学者たちが『教育』の歴代編集長を務めた。編集長経験者には、勝田守一、古川原、五十嵐顕大田堯山住正己、北田耕也、柴田義松中内敏夫堀尾輝久宇田川宏坂元忠芳、志摩陽伍、田中孝彦、小島昌夫、奥平康照、汐見稔幸佐貫浩、須藤敏昭、藤田和也、鈴木聡、野々垣務、佐藤広美、細金恒男、久冨善之、佐藤博、佐藤隆、片岡洋子、南出吉祥らがいる[3]

脚注

  1. ^ a b 2020年4月号より雑誌『教育』の発売元は旬報社となります。”. 旬報社. 2024年5月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e 教科研のご紹介”. 教育科学研究会. 2024年5月22日閲覧。
  3. ^ a b 教育科学研究会 歴代三役”. 教育科学研究会. 2024年5月22日閲覧。



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