掛塚町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/01 00:15 UTC 版)
| かけつかちょう 掛塚町 |
|
|---|---|
| 廃止日 | 1955年4月1日 |
| 廃止理由 | 新設合併 掛塚町、十束村、袖浦村 → 竜洋町 |
| 現在の自治体 | 磐田市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 | |
| 地方 | 中部地方、東海地方 |
| 都道府県 | 静岡県 |
| 郡 | 磐田郡 |
| 市町村コード | なし(導入前に廃止) |
| 総人口 | 6,847人 (国勢調査、1950年) |
| 隣接自治体 | 浜松市 磐田郡十束村、袖浦村 |
| 掛塚町役場 | |
| 所在地 | 静岡県磐田郡掛塚町大字掛塚 |
| 座標 | 北緯34度41分01秒 東経137度48分46秒 / 北緯34.68369度 東経137.81289度座標: 北緯34度41分01秒 東経137度48分46秒 / 北緯34.68369度 東経137.81289度 |
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掛塚町(かけつかちょう)は、かつて静岡県長上郡・磐田郡に属していた町。
現在の磐田市南西部、天竜川左岸にあたる。もともと天竜川右岸の長上郡に属していたが、天竜川の流路の変更により左岸の磐田郡に所属郡が変更となった。
地理
- 河川
- 海洋
歴史
- 江戸時代 - 天竜川を下った材木は掛塚湊から江戸に運ばれ、掛塚の町は廻船業で繁栄した。廻船が帰路で持ち帰った伊豆石を用いた蔵が多数建設された。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、掛塚村、十郎島村、白羽村、豊岡村、川袋村が合併して長上郡掛塚村が発足。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により所属郡が磐田郡に変更。
- 1896年(明治29年)6月29日 - 磐田郡掛塚村が町制施行して磐田郡掛塚町となる。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 十束村・袖浦村と合併して竜洋町が発足。同日掛塚町廃止。
行政
歴代町長
交通
掛塚町に鉄道は通っていなかった。
道路
名所・旧跡・観光スポット
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龍泉寺
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平野又十郎の生家
-
掛塚まつりの屋台蔵
祭事・催事
出身著名人
- 平野又十郎[1] - 銀行家
参考文献
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 22 静岡県』角川書店、1982年
関連項目
脚注
- 掛塚町のページへのリンク