排日感情の理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 13:54 UTC 版)
排日運動が起きる状況を産んだ背景は、1931年に、当時リマに公使として駐在していた来栖三郎が日本外務省に送った報告書「秘露ニ於ケル排日運動」の中でも指摘された。以下に、来栖公使が指摘した要因を示す。 アマゾンの未開の地に入植したはずの日本人が、リマ首都圏など都市部に集まって商業を始めたこと 日本人経営の店が競合するペルー人の仕事を奪っていったこと 日本人経営の店は、零細かつ家族ぐるみで行われ、ペルー人を雇用するような規模にならなかったこと 特に飲食店での不潔さが問題になるなど、日本人経営の店は設備が悪かったこと 日本人はペルー人から見ると寡黙であり、ペルー人と積極的に交流を持たなかったこと
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