カムイ外伝
(忍風カムイ から転送)
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『カムイ外伝』(カムイがいでん)は、白土三平の漫画、またそれを原作とするテレビアニメ・ラジオドラマ・映画である。このうち、テレビアニメ版は『忍風カムイ外伝』(にんぷうカムイがいでん)、ラジオドラマ第2作は『続・カムイ外伝』(ぞくカムイがいでん)と題して放送された。
注釈
- ^ 系列外となる青森放送や秋田放送でも1970年に放送されていた[3]。
- ^ 実写での制作は白土の要望でもあった[5]。
- ^ 宣弘社の渡辺邦彦は、「次の企画を考えている時に『サザエさん』が決まったのはラッキーだった」と述べている[7]。
- ^ 水島鉄夫とクレジット。
- ^ 大山のぶ世とクレジット。
- ^ 長井一郎とクレジット。
- ^ 野本礼二とクレジット。
- ^ a b c d 小林清とクレジット。
- ^ スガルと入れ替わってクレジット。
- ^ ゲンタと入れ替わってクレジット。
- ^ a b 桂令子とクレジット。
- ^ 李春子は白土三平の妻。
- ^ 冒頭・終盤ともに数秒程度かけてのクロスフェードで切り替わる。なお、終盤の「光る東芝の歌」に戻る方が所要時間が短くすぐ切り替わる。
- ^ 「今日もまた太陽は昇り、川は流れる」「だがここに一人の男があった」「月光の壮明も」の3か所。
- ^ 奇形を題材としたため、再放送時には欠番になる場合がある[8]。
- ^ 差別用語がサブタイトルであるため、再放送時には欠番になる、あるいは「農民」と改題される場合がある[8]。
- ^ 「狂」という文字が不適切ということから、再放送時には「暴れ馬」と改題される場合がある[8]。
- ^ 当時日本テレビの『シャボン玉ホリデー』を同時ネットしていたため。
出典
- ^ 『ロマンアルバム10 忍風カムイ外伝』徳間書店、1978年、75頁。
- ^ 『ビッグコミック』1982年2月25日号、小学館。 [要ページ番号]
- ^ 1970年6月から8月の東奥日報RABとABSテレビ欄から
- ^ 石橋春海「制作現場「光速エスパー」あのとき私は 田村正蔵 制作・監督(当時)」『伝説の昭和特撮ヒーロー 宣弘社全仕事』コスミック出版〈COSMIC MOOK〉、2014年7月9日、62頁。ISBN 978-4-7747-5934-0。
- ^ a b 宣弘社フォトニクル 2015, p. 56, 「その他の宣弘社作品・イベント運営」
- ^ 宣弘社フォトニクル 2015, pp. 4、6.
- ^ 宣弘社フォトニクル 2015, pp. 2–5, 「プロローグ」.
- ^ a b c 『三才ムック 実録 放送禁止作品 Vol.184』三才ブックス、108頁。
- ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1969年(昭和44年)9月 テレビ欄。
- ^ 『陸奥新報縮刷版』陸奥新報社、1970年9月付のテレビ欄。青森県立図書館所蔵。
- ^ 『福島民報』1970年7月16日、12月24日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『福島民報』1969年4月8日 - 9月30日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『福島民報』1970年7月5日 - 12月27日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『福島民報』1969年4月14日 - 10月6日付朝刊、テレビ欄。
- ^ a b 『北國新聞』1969年6月1日付朝刊テレビ欄より。
- ^ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)174pより。
- ^ 「全国放映リスト」『アニメージュ』1979年2月号、徳間書店、54頁。
- ^ “ダミーヘッド・アドベンチャー・スペシャル | 番組表検索結果詳細 | NHKクロニクル”. 日本放送協会. 2017年12月21日閲覧。
- ^ “ダミーヘッド・アドベンチャー・スペシャル | 番組表検索結果詳細 | NHKクロニクル”. 日本放送協会. 2017年12月21日閲覧。
- ^ a b 2009年度興収10億円以上番組(日本映画製作者連盟 2010年1月発表)
- ^ “『カムイ外伝』崔監督がブチ切れ!「ちゃんと観ろ!」と名指しで評論家に宣戦布告 - シネマトゥデイ”. シネマトゥデイ (2009年10月2日). 2010年1月22日閲覧。
- 1 カムイ外伝とは
- 2 カムイ外伝の概要
- 3 物語
- 4 ラジオドラマ
- 5 参考文献
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