忍岡聖堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/24 02:10 UTC 版)
忍岡聖堂(しのぶがおかせいどう)は、江戸時代前期に林道春(林羅山)によって建てられた、林家の私塾に附属する孔子廟のこと。正式名称は先聖殿(せんせいでん)と称した。
- ^ 湯島聖堂の歴史を記した『昌平志』には義直の命により描かれたとされ、『羅山先生文集』・『羅山林先生行状』では道春が依頼したとされている。
- ^ 『昌平志』には4月17日と記されているが、この日は家光の祖父徳川家康の命日で、家光は恒例行事として江戸城内の紅葉山にあった家康の霊廟に参詣しており(「紅葉山御社参」)、同日に寛永寺と忍岡聖堂を訪問するのは困難であると考えられるため、『徳川実紀』に記された7月17日が正しいとみられている。
- ^ 『昌平志』には寛文以後の忍岡聖堂の正殿部分は間口5間・奥行3丈としているのに対して、湯島聖堂の正殿部分は間口5間5尺・奥行3丈7尺5寸と伝えている(須藤、P20・29)。
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