後藤耕造とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 後藤耕造の意味・解説 

後藤耕造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 04:44 UTC 版)

後藤 耕造(ごとう こうぞう、1894年明治27年)9月30日[1] - 没年不詳)は、日本内務官僚住宅営団理事。

経歴

愛知県出身。1919年大正8年)、高等試験に合格し、翌年に京都帝国大学法学部英法科を卒業した[2]千葉県属、同警視和歌山県理事官、同事務官新潟県事務官、石川県書記官・学務部長、北海道庁学務部長、佐賀県書記官・警察部長を歴任[1][2]1939年(昭和14年)より三重県書記官・総務部長、広島県書記官・総務部長、北海道庁総務部長を務めた[2]

1941年(昭和16年)に退官した後は、住宅営団理事・大阪支所長となった[2]

戦後は京都市助役を務めた[3]

栄典

脚注

  1. ^ a b 日本官界名鑑 1937.
  2. ^ a b c d 人事興信録 1941.
  3. ^ 京都市役所. “歴代市長、副市長・助役一覧” (日本語). 2016年12月6日閲覧。
  4. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十二年版』日本官界情報社、1937年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「後藤耕造」の関連用語

後藤耕造のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



後藤耕造のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの後藤耕造 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS