後藤清一 (彫刻家)とは? わかりやすく解説

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後藤清一 (彫刻家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 23:47 UTC 版)

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後藤 清一(ごとう せいいち、1893年8月19日 - 1984年4月11日)は、大正 - 昭和時代の彫刻家。長男の後藤道雄は仏教美術史家。

来歴

1893年8月19日茨城県水戸市に生まれる[1]。富岡周正に牙彫を学ぶ[1]

東京美術学校(現東京芸術大学)入学後は高村光雲に師事し木彫を始める。

仏教を厚く信仰し、仏像などを生涯作品のテーマにした。清一の彫る仏像は如来よりも菩薩明王を題材にしたものが多い。

1930年構造社会員となる。

1958年日本美術展覧会評議員になり、1960年同展で「双樹」が文部大臣賞を受賞する。

余暇は専ら骨董品収集と読書を趣味としていた。1984年4月11日に死去。90歳だった。

主な作品

著書

  • 隠者の片影

脚注

  1. ^ a b 後藤清一 東京文化財研究所 2020年11月9日閲覧。

関連項目




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