後漢末期―名士の取り込み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 15:17 UTC 版)
後漢末期の群雄蜂起に際して軍師が再び現れた。袁紹における盧植、劉表における蔡瑁が例として挙げられる。盧植は黄巾討伐で功を挙げた当代の名儒として、蔡瑁は荊州の名士として知られていた。当時の名士とは高い名声を持った知識人(主に儒者)のことである。名士は学識・知恵を期待されて、あるいは群雄が覇権を正当化する象徴として、あるいは名士層を抱き込む目的で軍師として迎えられたとみられる。
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