待乳山楯之亟_(文久)とは? わかりやすく解説

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待乳山楯之亟 (文久)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/08 04:33 UTC 版)

待乳山 楯之亟(まつちやま たてのじょう、生年不明 - 1862年5月10日文久2年4月12日〉)は、入間川部屋及び待乳山部屋に所属した元力士[1]。本名・身長・体重とも不明。[1]下総国香取郡(現在の千葉県旭市)出身[1]。最高位は西前頭8枚目。

人物

1851年11月場所で初土俵(二段目〈現在の幕下〉)を踏んだ。1858年11月場所で西十両8枚目(十枚目格)に昇進[2]1860年2月場所で6勝2敗1の優勝相当成績を挙げた[1][3]。翌1860年10月場所より園部藩お抱えとなり、1861年10月場所で新入幕を果たした。この場所でも6勝3敗1休の好成績を挙げ、将来の躍進が期待されたが、翌1862年3月場所後[4]4月12日に急逝。死因等の詳しいことは不明だが、現役中より4代待乳山を襲名していた二枚鑑札であり、過労が祟ったと伝わる。とは言え、死の直前の場所でも休場まで4勝1敗と前場所に続き好成績を挙げており、将来を嘱望された矢先の悲運の急逝でもあった。

幕内通算 2場所 10勝4敗6休の成績を残した。優勝相当成績1回(十両時代の1860年2月場所)。

改名歴なし[1]

出典

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