張衛とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 張衛の意味・解説 

張衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 08:58 UTC 版)

張衛
後漢
昭義将軍
出生 生年不詳
豫州沛国豊県
拼音 Zhāng Wèi
公則
主君 張魯曹操
テンプレートを表示

張 衛(ちょう えい、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。公則豫州沛国豊県の人。父は張衡。母は盧氏。兄は張魯。弟は張傀。甥は張富・他数名(張魯の10人の子)。

生涯

建安20年(215年)、曹操漢中へ進攻してくると張魯が降伏しようとしたが、張衛は承知せず、将軍の楊昂楊任と数万の兵を率いて陽安関を守備した。一時は曹操軍を撃退したが、曹操が高祚らが率いる別働隊を派遣して夜襲させたため、楊任が戦死し、張衛も敗走した(陽平関の戦い)。

それでも張衛が抵抗を続けていると、野生の鹿数千頭が張衛の陣営を走り壊す事故(曹操軍の計略によるものかどうかは不明)が発生した。さらに、偶然発生した高祚との夜間の遭遇戦では、高祚が味方を呼ぶために打ち鳴らした軍鼓の音を、張衛は奇襲の合図と勘違いしてしまう。これらのことにより、ついに張衛は戦意を喪失して降伏した。

『天師世家』は、張衛の字を公則とする。曹操に仕えて昭義将軍に任ぜられたと記載されている。

物語中の張衛

小説『三国志演義』では、最後まで兄に逆らって曹操への抵抗を続け、勇将の許褚との一騎討ちに敗れ戦死している。

参考文献



このページでは「ウィキペディア」から張衛を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から張衛を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から張衛 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「張衛」の関連用語

張衛のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



張衛のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの張衛 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS