張士誠との戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:44 UTC 版)
西の陳友諒を倒した後の至正25年(1365年)、朱元璋は東の宿敵張士誠に攻撃を仕掛けた。その戦いの中で、馮勝は高郵(江蘇省高郵市)攻略の際、敵の策略に引っかかって部下数百人を敵城内でむざむざと殺されてしまった。朱元璋は激怒し、馮勝を召し出して杖打ち十回の刑に処し、高郵まで歩いて帰れと命じた。その後、馮勝は死に物狂いで奮戦し、淮安・安豊の諸都市を落とし、敵将の呂珍を捕虜とした。続いて常遇春の配下として平章攻略に参加した。
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