弥栄神社_(大分市)とは? わかりやすく解説

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弥栄神社 (大分市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/02 17:27 UTC 版)

弥栄神社
所在地 大分県大分市上野738
位置 北緯33度13分20.6秒 東経131度36分30.5秒 / 北緯33.222389度 東経131.608472度 / 33.222389; 131.608472座標: 北緯33度13分20.6秒 東経131度36分30.5秒 / 北緯33.222389度 東経131.608472度 / 33.222389; 131.608472
主祭神 須佐之男命稲田姫命大国主命
社格県社
創建 宝亀2年(771年
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弥栄神社(やさかじんじゃ)は、大分県大分市にある神社

概要

JR古国府(ふるごう)駅の北方、県立大分上野丘高校の西隣りに鎮座している。

宝亀2年(771年)、国府の鎮護寺・岩屋寺(現在は廃寺)境内に創建されたとされる[1][2]

建久年間(1190年-1199年)に疫病退散のため、大友氏初代当主・大友能直が京都の祇園社八坂神社)を勧請して再興した[1][2]。これが「祇園社(祇園宮)」としての社史の実質的な始まりとなる。

大友氏が「祇園祭り(祇園会)」を奨励し大いに賑わったが、天正14年(1586年)の島津氏の侵攻により、社殿が焼失し、元和4年(1618年)に藩主・竹中重義によって、現在地(律院村)に遷座・再興された[1]

その後、歴代藩主(竹中氏日根野氏大給松平家)が奨励して再び「祇園祭り」が賑わい、柞原八幡宮の中秋祭「浜の市」と共に「二大祭り」と称された[1]

明治4年(1871年)に「弥栄神社」に改称、明治6年(1873年)に郷社に列格、大正5年(1916年)に県社に昇格[1]

寛永2年(1625年)に造られた楼門をはじめとして、拝殿・本殿・鳥居など、古い建造物が残っている[3]

祭神

脚注

  1. ^ a b c d e 境内由緒書
  2. ^ a b 弥栄神社 - 大分市観光協会
  3. ^ 弥栄神社 - 大分ロケーションオフィス

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