弟高家に対する兄弟愛の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 14:20 UTC 版)
「庄忠家」の記事における「弟高家に対する兄弟愛の伝承」の解説
庄三郎忠家は兵衛佐頼朝に仕えたが、弟の庄四郎高家は左馬頭木曾義仲に仕えた。元暦元年(1184年)正月、義仲が粟津で敗死すると(粟津の戦い)、忠家は弟の高家が敵方にいるのを悲しみ、何度か投降するように誘うも、高家は孤忠をひたすら守り、兄に従わなかった。忠家はただちに高家がいる敵先陣をうかがい、格闘の末、捕らえ、虜にした。源義経は忠家と高家の兄弟の深い友愛節義を感じて高家の処刑を免じたとされる(その後、高家は義経の家人となった)。
※この「弟高家に対する兄弟愛の伝承」の解説は、「庄忠家」の解説の一部です。
「弟高家に対する兄弟愛の伝承」を含む「庄忠家」の記事については、「庄忠家」の概要を参照ください。
- 弟高家に対する兄弟愛の伝承のページへのリンク