市川荒次郎_(2代目)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 市川荒次郎_(2代目)の意味・解説 

市川荒次郎 (2代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/06/20 03:52 UTC 版)

にだいめ いちかわ あらじろう
二代目 市川荒次郎

二代目 市川荒次郎
屋号 大黒屋
定紋
生年月日 1889年10月15日
没年月日 1957年6月16日(満67歳没)
本名 中村 福藏
襲名歴 1. 二代目市川福藏
2. 二代目市川荒次郎
俳名 梅叶
出身地 東京府東京市
初代市川荒次郎
三代目市川荒次郎
当たり役
『修善寺物語』の金窪兵衛

二代目 市川 荒次郎(にだいめ いちかわ あらじろう, 1889年明治22年)10月15日 - 1957年昭和32年)6月16日)は歌舞伎役者本名中村 福蔵(なかむら ふくぞう)。屋号大黒屋定紋、替紋は蔦蝶々。俳名に梅叶。

人物

初代市川荒次郎の子。東京府東京市出身。1894年明治27年)5月に東京明治座『甲州流武田幕張』(甲州軍記)で二代目市川福蔵を襲名して初舞台。1907年明治40年)の明治座『極付幡随長兵衛』(湯殿の長兵衛)で二代目市川荒次郎を襲名。以後は従兄弟の二代目市川左團次の門に入り自由劇場に参加した。

また猿之助一座に加わり、1955年昭和30年)に二代目市川猿之助ともに中華人民共和国で歌舞伎公演を行った。明快な口跡を持ち味に名脇役として舞台に出る。1957年昭和32年)6月16日に心臓喘息のために逝去。67歳没。同年の『処女翫浮名横櫛』(切られお富)の赤間源左衛門を演じたのが最後の舞台となった。

長い顔でギョロ目、「南京豆」とあだ名された。左團次の新作に当たり役が多く『室町御所』の伊賀七郎、『今様薩摩歌』の奴事助、『尾上伊太八』の九助などがある。なかでも『修善寺物語』の金窪兵衛は生涯の当たり役となった。

子は三代目市川荒次郎。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「市川荒次郎_(2代目)」の関連用語

1
6% |||||

市川荒次郎_(2代目)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



市川荒次郎_(2代目)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの市川荒次郎 (2代目) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS