市川荒次郎_(2代目)とは? わかりやすく解説

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市川荒次郎 (2代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/18 01:45 UTC 版)

にだいめ いちかわ あらじろう
二代目 市川荒次郎

二代目 市川荒次郎
屋号 大黒屋
定紋
生年月日 1889年10月15日
没年月日 (1957-06-16) 1957年6月16日(67歳没)
本名 中村 福藏
襲名歴 1. 二代目市川福藏
2. 二代目市川荒次郎
俳名 梅叶
出身地 東京府東京市
初代市川荒次郎
三代目市川荒次郎
当たり役
『修善寺物語』の金窪兵衛

二代目 市川 荒次郎(にだいめ いちかわ あらじろう, 1889年明治22年)10月15日 - 1957年昭和32年)6月16日)は歌舞伎役者本名中村 福蔵(なかむら ふくぞう)。屋号は大黒屋。定紋、替紋は蔦蝶々。俳名に梅叶。

人物

初代市川荒次郎の子。東京府東京市出身。1894年明治27年)5月に東京明治座『甲州流武田幕張』(甲州軍記)で二代目市川福蔵を襲名して初舞台。1907年明治40年)の明治座『極付幡随長兵衛』(湯殿の長兵衛)で二代目市川荒次郎を襲名。以後は従兄弟の二代目市川左團次の門に入り自由劇場に参加した。前進座の結成に参加したが、短期間で離脱した。

また猿之助一座に加わり、1955年昭和30年)に二代目市川猿之助ともに中華人民共和国で歌舞伎公演を行った。明快な口跡を持ち味に名脇役として舞台に出る。1957年昭和32年)6月16日に心臓喘息のために逝去。67歳没。同年の『処女翫浮名横櫛』(切られお富)の赤間源左衛門を演じたのが最後の舞台となった。

長い顔でギョロ目、「南京豆」とあだ名された。左團次の新作に当たり役が多く『室町御所』の伊賀七郎、『今様薩摩歌』の奴事助、『尾上伊太八』の九助などがある。なかでも『修善寺物語』の金窪兵衛は生涯の当たり役となった。

子は三代目市川荒次郎。

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