峰岸休文とは? わかりやすく解説

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峰岸休文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/16 13:34 UTC 版)

峰岸 休文(みねぎし きゅうぶん、生年不明 - 万延元年7月6日[1]1860年[2]8月22日))は幕末期の日本の学者。出身地から「鍋山休文」とも。「青峨」とも号す。

来歴

下野国鍋山村熊下(現・栃木市)の出身。鹿沼鈴木石橋に学び、長崎オランダ医学を学んだ。

帰国ののち西水代村(水代村大平町を経て現・栃木市)の田村治兵衛の邸に家塾峰岸塾を建て、医業のかたわら、近村の者に学問を教えた。「公方様より、天朝様の方が尊い」と主張し、同地域での勤皇思想を広める端緒となった[3]。幕末から明治に活躍した松本暢、国分義胤、川連虎一郎らも休文に学んだ。

水代に30年あまり滞在し、鍋山に帰ったとき70歳だった[4]

脚注

  1. ^ 下野勤皇列伝 1944, p. 195.
  2. ^ 佐野市立吉澤記念美術館 収蔵企画展 ひそやかな別天地 ―伊藤若冲《菜蟲譜》と江戸から近代の「絵の本」― (PDF) - 佐野市(2018年)
  3. ^ 下野勤皇列伝 1944, p. 194.
  4. ^ 栃木市 1966.

参考文献




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