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岩郷泰博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 06:23 UTC 版)

岩郷 泰博
基本情報
国籍 日本
出身地 高知県土佐市
生年月日 (1943-08-03) 1943年8月3日
没年月日 (2019-08-02) 2019年8月2日(75歳没)
身長
体重
174 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1962年
初出場 1962年
最終出場 1962年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

岩郷 泰博(いわごう やすひろ、1943年8月3日 - 2019年8月2日[1])は、高知県土佐市[2]出身のプロ野球選手(内野手)。

経歴

高知商業高校ではエースの高橋善正、後に同校野球部監督となる谷脇一夫のバッテリーを擁し、一塁手として1961年夏の甲子園に出場。1回戦で大分高田高門岡信行を打ち崩し、完封勝利を飾る。しかし2回戦では相羽欣厚江藤省三らのいた中京商と打撃戦を展開。一時は5点リードするが逆転され、山中巽林俊彦の継投に屈し7-8で惜敗[3]

1962年読売ジャイアンツへ入団[2]。同年は代打として5試合に出場するが、1963年限りで引退。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1962 巨人 5 5 5 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .200 .200 .200 .400
通算:1年 5 5 5 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .200 .200 .200 .400

背番号

  • 33 (1962年 - 1963年)

脚注

  1. ^ “訃報 元プロ野球選手の岩郷泰博さんが死去”. 高知新聞社. (2019年8月4日). https://www.kochinews.co.jp/article/detail/298237 2019年8月15日閲覧。 
  2. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、69ページ
  3. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」 朝日新聞社編 1989年

関連項目

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