岩国万徳院
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慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに敗れた毛利家は周防・長門国へと減封され、重臣であった吉川家当主吉川広家も周防国岩国へと転封された。吉川氏の本領であった安芸国大朝荘にあった万徳院(後述)を岩国に移転させ、真言宗の寺院とした。慶長11年(1606年)に死去した吉川元春正室新庄局もこの寺に埋葬された。その後は岩国領主吉川家の保護を受け、現在まで続いている。
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